大場窮策のブログ

出さなかったエアメール@ZL1AMO

投稿日 2012年5月13日 1:10 AM | 投稿者 大場 窮策

開封されたエアメール

しばらくアマチュア無線から遠ざかっていましたが、
先月ロンが亡くなったと聞きました。
彼はニュージーランドのアマチュア無線家で、
半年は地元でタクシーのドライバーとして働き、
残りの半年は太平洋を中心としたいろんな
島国を巡り、電波を出してくれ、遠距離通信を
趣味としている人には、世界的に有名でした。
(日本と違ってニュージーランドのタクシードライバーの
 ライセンスは、ハードルが高いらしいく、結構な
 お金持ちだったらしいです。)

拙生も電波の上では何度も交信をしてもらいましたが、
もう15年くらい前ですが、東京で開催されたDX
ミーティング(DX=遠距離≒遠距離通信)にゲストとして
参加されていた時、初めて直にお会いしました。

次の年にもお会いしたら、なんと北海道に行きたい!
というではありませんか。
実は前の年にOH1TX(ヤッコ)というフィンランド人を
北海道に連れて帰り、彼は仲の良いロンに北海道は
良かったぞ!と自慢していたらしいのです。
(ヤッコについては、別口で書いてみたいと思います。)
で、その年もロン以上に世界的に有名なSM0AGDエリック
(スウェーデン人)の2人を引き連れて、北海道に戻ってきました。
(エリックについても機会があったら別口で。。。)

1週間以上拙生の手配した札幌のホテルに滞在し、
あちこち回りました。
無線界では世界的有名人2人を独占しておくわけにもいかず、
急遽かき集めた少人数でのミーティング(≒飲み会)では
気さくに会話や写真撮影に応じてくれ、集まった同好の士達も
十分楽しんでくれたようです。

ロンの思い出と言えば・・・
あちこちの国から電波を出したり、その際に使う電波形式の
一つ(CW)の名手であることよりは・・「女好き!?」でしょうか。
最初に会ったミーティングでは、お手伝いに来ていた
開催スタッフの奥さん(若くて大層な美人でした。)に
ベッタリくっついて離れず、ミーティングの立食パーティでも
常に女性陣の中心で笑顔を振りまいていました。

翌年札幌に来る前に泊ったのは、大磯プリンスホテルですが、
一緒に朝食をとったあと、エリックらと4人でロービーで
雑談したのですが、いつもおしゃべりなロンが無口です。
じっと見つめる視線の先には、プールサイドのビキニの
女性達が・・・(w

いやらしいとかそんなんではなく、実にさわやかな
スケベ爺さんって感じでした。
当時60歳だったので、爺さんは悪いかな・・・?
その動向は、札幌においても昼間は大通り近辺、
夜はススキノでいかんなく発揮されていました。

ススキので行ったクラブの美人ママが、偶然ニュージーランドへ
留学していたとかで、急にニュージーランド訛りの英語が飛び交い
始めたのにはちょいと閉口しましたが、エリックに聞いたところ
後日夜にソワソワと独りでお出かけしたとかしないとか。。。(w

ロンは子供みたいでした。
小樽の某有名な無線家(JA8E●T)のところにお邪魔したときに、
当時は非常に貴重だったとある国(P5)の交信証明書(QSLカード)を
自慢げに見せられた時、ロンはやおらライターに火をつけ
それを燃やすジェスチャーを。。。
自慢した御仁のあわてふためいた姿に、同席していた一同
大笑いでしたが、冗談ではあったにせよ、ロンの目が結構
本気っぽかったのを拙生は見逃しませんでした。

帰国間近になにかプレゼントしようと、無線機ショップに行き、
何がほしい?と聞いたら、ロンは50MHzのモービルアンテナと
即答しました。
車につけるアンテナで、5~6千円くらいなものです。
で、次にエリックに聞いたら、いろんな国に行くときに
持ち運ぶコンパクトな無線機の部品(IC-706CWフィルター)が
ほしいと言いました。
値段的にはロンのものより数倍高い。。。
するとロンは急に口を尖らして、本当は俺もソレが欲しかった!
と言うではありませんか。
仕方ないので買うことにしたのですが、残念ながら在庫が
1個しかなく、後日ニュージーランドまで送ってやりました。
本当にわがままっ子でした。(笑

ロンと最後に言葉を交わしたのは数年前。
自作のアンテナ(18MHz16.5mブーム6エレフルサイズ八木)
を上げたばかりで、たくさん交信をして飛びと受けを試していた時、
フィージー島に滞在していた彼から呼ばれました。
(そのころ彼は70歳を超え、タクシーの権利を売って、
  よく太平洋の島々から電波を出していました。)
アンテナはヨーロッパ・アフリカ向けでたくさん呼ばれていて、
彼に向けるには180度回転させなくてはならず、弱い信号のまま
安定して聞こえないので、次回ゆくりやろうと言って
打ち切ったのが最後となりました。

彼はすごい勢いでヨーロッパやアフリカに呼ばれているのを
聞いて、どんな設備でやっているか尋ねていたことは
分かっていました。
その後しばらく彼と話す機会がなかったので、実はこんな
アンテナを自作したんだという手紙を書いたのですが、送り先が
ニュージーランドなのかフィージー島なのか定かではありません。
そのうちまた呼んでくるだろうと、出さないままでいたのです。

受け取り人がいなくなり、永久に送られることもなくなった
悲しきエアメールですが、すぐに処分することもできません。
しかし、ずっと取っておくわけにもいかず、この投稿を機に
開封することにしました。。。ではなくて
開封を機に気持ちの整理を含め、この投稿をしているというのが
本当のところです。

出されなかったエアメール

ヤッコもエリックもロンより年上だったはずですから、
どこかで話せる機会があったとしたら、何をさておき
いっぱい話しておくことにします。

享年(満)75歳。早すぎますねぇ。
もっと彼の素晴らしいCWのテクニックを聞いていたかった。。
ご冥福をお祈りいたします。

カテゴリー 日常のこと | コメント(0) »

猫の額

投稿日 2012年5月12日 4:39 PM | 投稿者 大場 窮策

DSC_0017.jpg

抜いた松の木の代わりに煙の木が
今度の電柱の目隠しになります。
あとはこまごまとした宿根を
植える段階までやっときました。

カテゴリー スマホから投稿 | コメント(0) »

あいこさん

投稿日 2012年5月12日 9:37 AM | 投稿者 大場 窮策

DSC_0015_2.jpg

ぶたさんとくつろいでいるあいこさん。

カテゴリー スマホから投稿 | コメント(0) »

OpenSSH@DSA鍵長

投稿日 2012年5月11日 10:43 AM | 投稿者 大場 窮策

ssh-keygenコマンドを使用しサーバー側でDSA鍵を生成すると、
鍵長は1024ビットとなります。
クライアント側の多くのアプリでは、2048ビットを生成できるのに
どぉしてなのか疑問に思っていました。
別に不便もないので長いこと放っておきましたが、ふと気になって
調べてみました。

DSAはドメインパラメータの一部とダイジェスト関数の組み合わせなのですが、
OpenSSHの最新規格ではダイジェスト関数も何種類かを選択できるように
なったのに、RFCが古い規格を参照しているため、ダイジェスト関数が
固定されているのが原因のようです。

ちなみにダイジェスト関数は固定化されているために、DSAが1024とか
2048ビットと言っているのは、鍵に使用しているドメインパラメータのみを
言っています。
ssh-keygenコマンドは古い規格を参照したRFCに忠実に準拠しているため、
1024しか使えないようです。

 

 

ではTeraTerm(TTSH)やputtygenなどのクライアント側でなぜ2048ビットが
生成できるかというと、ダイジェスト関数は固定のままドメインパラメータの
一部を対応させているからで、厳密にはRFCに準拠していないため、
動作は保証されません。
ただし、今のところ問題なく動いてますけど。

RFCがさっさと新規格に対応してくれれば良いのにねぇ。。。

(英文翻訳に間違いがあれば、この投稿内容も違っているかも・・・)

カテゴリー サーバーのこと | コメント(0) »

表札?

投稿日 2012年5月07日 11:52 PM | 投稿者 大場 窮策

せっかくなので携帯で投稿。

DSC_0011.jpg

部屋の入り口にかけてあります。
一番とっ散らかっている部屋を
探したほうが早いかも。(自爆)

カテゴリー スマホから投稿 | コメント(0) »

test

投稿日 2012年5月07日 11:00 AM | 投稿者 大場 窮策

-5299710238390380223.jpg

携帯より投稿試験です

パソより追記

添付した写真が表示されないという不具合があって、
しばらく携帯からの投稿はしていませんでしたが、
思い立ってプラグインをアンインストール&インストール
して設定しなおしたらあっさりと表示。。。
Wordpressのバージョンによるものかと思ったけど、
他に構築してあるWordpressではNGです。。^^;;
もしかしてテーマの違いによる??
そのううち調べましょ。

これでココは携帯からの投稿も可能になりました。
が、しかし、決して出先からバリバリ投稿しますという
宣言ではありませぬ。

カテゴリー スマホから投稿 | コメント(0) »

腰痛から回復

投稿日 2012年5月06日 11:05 PM | 投稿者 大場 窮策

昨日急にやらなくちゃいけなくなった仕事
(ダメ直し&きつい肉体労働)は、GW中につき、
独りでちんたらやる羽目になりましたが、ちょいと
頑張りすぎで、GW最終日だというのに腰痛で一日
寝込んでいました。^^;;
現在やっと起きられる程度に回復したので、なんとか
パソに向かっています。

セキュリティソフトのライセンス切れのWindowsパソ君に
とりあえずMicrosoft Security Essentialsを入れてみました。
検出率はそう悪くないと聞いていますが、どぉなんでしょね?
パフォーマンスはを見ると、フルスキャンでもCPUの1コアは
時折100%(全体の25%)になるものの、メモリはほとんど使わず、
リーソースの気になるような食いつぶしはないようです。

Ububtuはすでに12.04(LTS)がリリースされたので、
GW中にアップグレードしようかと思いましたが、
急な仕事や野暮用および腰痛で、偶然立ち上げた
ノーパソ君1台のみ完了したという状態です。
なにが変わったのかも検証しておりませぬ。。。
Fedora17のリリース日は5月22日だったかな?
サーバーのアップグレード前には全部片付けておかなくっちゃ。



Fedora17をインストールする予定のマシーンです。

サーバーは先日書いたミラーリング(ソフトRAID)の
件があるので、PreUpgradeとかyumではなく、面倒でも
別建てのマシーンにクリーンインストールして、
手動設定するのが一番かと。
不安要素の解消には、多少の手間は仕方ないっすね。



稼働中のFedora16マシーン2台。
左側がミラーリングトラブルで出動した予備機(現稼働機)です。

カテゴリー 日常のこと | コメント(0) »

WordPress

投稿日 2012年5月04日 9:38 PM | 投稿者 大場 窮策

そう言えばこのブログに使用している
ブログツールはWordpressですが、
写真をuploadした際、サムネールが
管理画面で選択できないという不具合が
あったことを忘れていました。

実はこのサーバー、もともとは拙生専用で、
拙生の使用するいくつかのユーザーが存在しましたが、
最近1人だけユーザーとなり、Wordpress でブログを
運用していたので、その方のご指摘で発覚しました。

すぐに思い出せなかったので、思い出したが吉日!
備忘録的に書いておきます。

なんて大げさにいっても言っても実に簡単で、
サーバーがFedoraの場合、php-gdをインストールし
httpdを再起動するだけです。

# yum -y install php-gd
#/etc/init.d/httpd restart

これ以降にアップロードしたものは、サムネールが
正常に選択できるようになります。

ubuntuサーバーなどはphp5-gd らしいですが、
ubuntuはデスクトップでしか使っていないので、
インストールした経験はありません。

$sudo apt-get install php5-gd

でOKだと思います。

ちなみにWordpress最新バージョンは3.3.2です。 

カテゴリー このサイト, 日常のこと | コメント(0) »

先祖がえり

投稿日 2012年5月04日 8:47 PM | 投稿者 大場 窮策

Oba-Qサーバーの不調により、予備マシーンによる
稼働に切り替えましたが、バックアップのもれた最近の
投稿はお亡くなりになり、ちょっと先祖がえりです。。。^^;;

原因はミラーリング構成の不調。
いままで経験のない現象であります。

RAID1構成が正常なら
$cat /proc/mdstat
で表示されるパーティションは

md0 : active raid1 sda1[0] sdb1[1]
524276 blocks super 1.0 [2/2] [UU]
         ・
         ・
md8 : active raid1 sda10[0] sdb10[1]
1894398844 blocks super 1.1 [2/2] [UU]
bitmap: 0/15 pages [0KB], 65536KB chunk

となります。

たとえばsda1 がコケた場合は
sdb1 [_U]
sdb2 [_U]
のごとく、sdaが表示されなくなり、
【U】も一つだけになります。

しかし、今回の症状は、
sda1 [U_]
sdb2 [_U]
といった具合に、パーティションにより
RAIDに参加しないデバイスが異なるという現象です。
これはハードではなくソフト的な不具合としか
考えられません。

下記のようなsda1がお亡くなりになってる場合
md8 : active raid1 sdb10[0]
1894398844 blocks super 1.1 [2/1] [U_]
bitmap: 3/15 pages [12KB], 65536KB chunk

以下のコマンドでraid1に参加させます。
# mdadm –manage /dev/md8 –add /dev/sda10
(manageとaddの前は - が一つに見えるかもしれませんが
 実際には - - と2つあります。)

スーパーブロックがなんチャラと怒られたら
指示どおり、以下のコマンドを打ってから
再度トライします。

#mdadm –zero-superblock /dev/デバイス名

それで一時復帰しましたが、再起動では大丈夫なものの
一度電源を切って立ち上げると、違うパーティションで
同じ現象が起きました。

原因を追及するより、予備機稼働のほうが早いので、
マシーンを変更しました。
とりあえずpppoe・web・メール・DNS等の最低限は
稼働させましたので、細部の設定と不具合の追及は
後からゆっくりやりましょ。。
Fedora17が今月後半にリリースされるので、
それまではいじらないつもりでしたが、緊急対応です。

カテゴリー サーバーのこと | コメント(0) »

母没する

投稿日 2012年3月25日 11:56 PM | 投稿者 大場 窮策

(某検索エンジンのキャッシュより 日付は適当です。。。)

3月19日母が亡くなりました。

7年前に胃癌で胃を全摘出しましたが、
胃壁だけではなく、もっと内部にもある
特殊な癌だったようで、取りきれないので、
進行する可能性大とは告げられていました。

抗癌治療にもよく耐えて、元気のある時は、
以前からやっていたボランティアにも参加したりしていました。
その後ドライアイが悪化し、しばらく眼が開けられない
状態になり、家でじっとしていることが多かったようです。

胸が苦しいと訴えたので検査すると、肺に転移しいて
癌性髄膜炎で水がたまっていました。
医者から見せていただいたCT写真は、正常な肺は気泡が
黒く映っているのに、片方はほとんど白く、たまった水が
肺を押しつぶしている様子がよく分かりました。

我慢強い人ですが、激痛についに付き添っていた孫(拙性の姪)に
助けを求め、鎮痛のためモルヒネの点滴を施し、そのまま起きることもなく、
数時間後にあっけなく旅立ちました。

病院に駆け付ける途中、姉が拙性に状況報告するため電話をくれた時は
医者もまだ大丈夫と言っていたので、拙生はすぐに来なくてよいと
言われたのですが、数分後姉が病室に入った時は、血圧の急激な低下で
駆け付けた看護師さんがバタバタと動き回っていた状態で、その時には
すでに息がなかったということで、本当にあっという間のことだったそうです。
最初の電話からわずか数分後に、すぐに来いという2度目の電話をもらう
ことになってしまいました。
拙生が駆け付けた時はまだ温もりも残っていて、まるで呼んだら目を覚まして
起きてきそうな穏やかな顔をしていました。
悲しいことに最期を看取ることはできませんでしたが、苦しむ時間が
短かったのが救いだったと思ってます。

先に旅立った父、そして母は、長いこと姉夫婦と暮らしていて、
拙性は近くにいながら、あまり顔も出さず、まかせっきりという
親不孝者でしたので、そんなときだけ喪主もないだろうと辞退し、
一般的な社会通念から見れば、なぜ長男がいるのにというお叱りを
受けそうですが、姉が喪主・義兄が施主という形をとらせてもらいました。

20年前に旅立った父の時の葬儀には、参列していただけた方が
350人以上で、後から駆け付けてお参りしていただいた方を含めると、
500人を超え、ありがたくも後々がすごく大変だったことを理由に、
母は大きな式を望みませんでした。
各方面にお知らせすると、きっと父と似たような規模になることは
予想できますので、後から不義理を怒られることは覚悟で、最小限の
親類・お友達のみにご連絡したため、50人程度の小じんまりした式でした。

お通夜・葬儀とも滞りなく終了し、小さくなった母は拙性の胸に
抱かれて焼場から戻ってきました。
親不孝のドラ息子なんかに抱かれたくないて叫んでいたかもしれませんけど。

母は樺太の豊原(現サハリンのユジノサハリンスク)生まれで、終戦時に
北海道へ引き上げてきました。
親戚でも人によっては11人とか13人とか言うことが違ったので、どれが
正解なのか定かではありませんが、とにかく10人以上の兄弟の末っ子です。
生まれてすぐに亡くなったり、恥かきっ子(母よりさらに下の子)を
ずっと年上の兄の戸籍に入れたとか、いろいろあったと聞いたので、
きっと13人兄弟が正解なのでしょうね。

経済的なことや戦争の影響で、母は尋常高等小学校しか出ていません。
学歴で悔しい思いをしたことも多かったということで、姉と拙性が
小学校に通い手が離れたころから、いろいろな勉強を始めました。
その中で英語の勉強はずっと長く続けていました。
拙性が中学生のときなど、わからない部分は聞けば教えてくれました。
ボランティア通訳もやったことがあるし、父が亡くなった後は独りで
海外旅行に出かけても不便は全くなかったようです。

英語だけではなく、PTA姉と拙生が小中学生の間、広報を長年担当し、
また全国的な社会運動にも参加しており、その会報の割り付け・編集や
全国大会向けの小冊子などへの寄稿を読むと、決して低学歴とは思えない
文章と内容でした。

しばらく生協の理事をやっていましたが、一線を退いてからは、不登校の
子供たちのためのフリースクールなどでボランティアに参加していました。
実は、拙生の知人が芦別にLD(学習障害)のための学校を作る時、拙性も
若干ですが立ち上げ時に参加させてもらいました。
その時に母のボランティア先のフリースクールの方と、その件の
お勉強という意味でお話したことがあり、さらにその後、両団体は
提携したという奇遇としか言いようのないこともありました。
そんな繋がりもあり、姉がお香典から葬儀分を清算して余った分は
フリースクールに寄付したいという提案に即座に賛成させてもらいました。

ご報告でちょっと書いておこうと思ったのですが、きっと拙性自信が、
生きていた時の母の存在を再確認しようとしているのでしょうね。
まだまだ書きたい気分なのですが、おしまいにしておきます。

カテゴリー 日常のこと | コメント(0) »


メインナビゲーション

フィード

カテゴリー

アーカイブ

ブログロール

管理者ページ