CQの練習で珍が

SSBでDXを始めたきっかけ

1980年位だったと思います。
当時は15mモノバンド4eleと50Wで、ホソボソと
CWで国内外のQSOを楽しんでいた時期です。
ただただログが進むのが嬉しくて、1日100局を
目標に起きてはトンツー、帰宅してはトンツーてな
具合でありました。
それでもコンディションが良かったので、
90%以上はWとEUを中心としたDXQSOでした。

夜になると初めてマイクに向かい、ローカル局と
SSBでおしゃべりするのが日課でしたが、その中の
一人が御仁だったわけです。

ある晩のこと・・・
いつものように御仁とラグチュウをしていたときに
どうやら御仁にブレークがあった模様。
御仁が拙生にアンテナを向けると、真西になるのですが
素晴らしいロケーションと7ele八木の威力は凄まじく
電波は拙生を飛び越えて遥かアフリカまで強力に飛んで
いたようで、ブレークの主はZS(南アフリカ共和国)でした。
なんか59-59のリポート交換してますが、拙生は東に振って
いたのでバックで弱くしか入感しません。
で、すごいなーと思いつつQSO終了を待っていたのですが
御仁がいきなり、ここにはもう一人(拙生のこと)いるので
リポート交換してやってくれと言い始めました。
え〜〜〜^^;; です。
SSBはローカルラグチュしかやったことがなく、全ての
DXQSOはCWででしたのでQSOの仕方が分からない。。。
そしてアンテナも振っていないので弱くしか聞こえない。
仕方がないので4by5とかのリポートを送って同じような
リポートをいただいた記憶があります。
名前を言ってきたのでコチラも言おうとしますが、全く
慣れていないため、マイネームイズあのーそのー・・・
と名前がアノーソノーになってしまいました。^^;;;;

で、次の日です。
昨晩の恥ずかしい経験は拙生の原動力となりました。
まずはデスクの上からエレキーが消えました。
代わりにSSBのDXQSO雛形メモがアチコチに貼られ
とりあえず59のレポート交換だけやっているQSOから
チャレンジを始め、次は名前は言えるように、その次は
使用リグとアンテナを紹介できるようなったのは
1週間もかからなかったと思います。
慣れてなかっただけで英語を全く理解できない
ということではありませんでしたから。w

次は呼ぶのではなくCQを出す訓練です。
まずは国内向けCQで慣れようと、いろいろなCQでの
出し方やQSOを聞くと、どぉも性に合わないようで、
ならばと、DX向けの雛形を用意しておきました。

雛形を練習するにはEUなどのコンディションが
すっかり落ちた夜に限ると、静まり返った21MHzで
返答のないCQDXを連発してみる。。。www
何度かローカルに声を掛けられましたが、CQDXの
練習で〜すと、言いながら続けていました。


珍が呼んできた

ところが・・・応答のないはずのCQDXに応答が・・・
しかも非常に弱いCWです。
最初はSSBでCQ出しているのになぜCWで呼んでくる?
と思って無視していましたが、何度も呼んでくるので
SSBに切り替えてください〜いと日本語で。。。
もしやと思いPlease switch on SSB mode・・・とか
なんとか言ってみたのですが、CWでで呼び続けるので
根負けして仕舞ってあったエレキーを引っ張り出して接続し、
CWに切り替えてコールサインを取ってみると
KH6ナンチャラ/KH1と打て来ます。
そのころ全くDXCCについての知識はなく、グアムの
間違いじゃねぇ?と思いKH1?と聞き返してもYesと
返してきます。
さっさと終わりたいので73でお別れし、またSSBで
CQDXの練習を始めました。

で、次の日DXCCにチャレンジしているローカルに
昨晩せっかくSSBでCQDXの練習してたのに、CWで
グアムがしつこく呼んできて、しかも/KH1とか訳の
分からないコールサインでさぁ。。。
なんて言った途端、嫌味か!?
それはアメリカンフェニックスでニューカントリの
1stペディションだ!と言われました。
ただ20mBANDにしか出ていないはずだから、パイレーツ
かもしれないけど、とりあえずQSLカード出しておけ
とのことでした。
と言っても当時の拙生には価値は分からず、後日無事
届いたエアメールのQSLカードと共に入っていたメモに
21MHzでのQSOはお前だけだったという文章を見て
かなりのテンションが上がったことを覚えています。

ご存知かとは思いますがアメリカンフェニックスなんて
呼ばれていたと記憶していますが、アメリカとイギリスが
領有権を争ったいたころ、同じ場所からなのにVR1と
KH1という2つのカントリー(現エンティティ)として
扱われていたキリバス共和国のフェニックス諸島で
現在はVR1がT31になり、この場所のKH1は消滅、
Baker&HowlandがKH1となっています。

実はこの1stDXをペディションは、ヒースキット
だたと記憶しておりますが、5WQRP機に20mBANDの
DPアンテナで、DXfreqである14.195MHzが発射できる
水晶発振子という構成だったらしいのです。
で、21MHzに切り替えたら21.195MHzしか聞くことが
出来ませんが、丁度ドンピシャで拙生のCQDXの
練習が聞こえたのだと思われます。
しかしライセンス的に21.195はあちらではCWしか
出られないため、CWで呼んできたのですが、
20m用DPの5wQRPだったために非常に弱かった。。。
こんなストーリーが見えてきます。

実はホームページ時代の投稿から引っ張って
このブログにも載せていたのですが、サーバー事故で
なくしてしまったので再び書いてみました。
カードやその時のメモのファイルは消えてしまったので、
実物を探そうとしましたが、時間があるときでないと
ダンボール箱5つ分のQSLカードの中から探すのは大変です。
見つかったらアップしておきましょ。
 

 

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